薫ちゃんの徒然囲碁日記

囲碁に少しでも興味を持ってくれた方が、より囲碁を楽しめるような豆知識を紹介していきます。

第31話「日本の囲碁は本当に『没落』したの?」の巻

石野先生「この前、ネットを検索していたら、残念な記事を見つけたんだよ。」

薫ちゃん「どんな記事ですか?」

石野先生「この記事なんだけどね。」


【コラム】日本の囲碁はなぜ没落したのか | Joongang Ilbo | 中央日報

薫ちゃん「日本の囲碁が『没落』したって、韓国の方が書いたにしても、穏やかじゃありませんね。」

石野先生「そうなんだ、これを読んだ日本の囲碁ファンは、相当なショックを受けただろうね。ただ、確かに日本は世界戦では中国と韓国に後れをとっていて、言われても言い返せない悔しい思いもしているんじゃないかな。」

薫ちゃん「そんなに、日本って弱くなっちゃったんですか?」

石野先生「そうだね。囲碁は中国で発明されたゲームではあるけれど、江戸幕府囲碁を奨励して棋士を保護するようになって以降、日本の囲碁はものすごく発達してきた。」

薫ちゃん「この前教えてもらった、本因坊さんや井上さんたちが頑張ってくれたおかげですね。」

石野先生「当時の日本は鎖国状態で、囲碁に関しても海外との交流はなかったはずだから、独自の発展を遂げたんだろうね。」

薫ちゃん「そうか、だから日本の技術が海外に出ていくこともなかったんですね。」

石野先生「そして、昭和の時代になってからの新布石理論の登場もあって、昭和後期までは日本の囲碁のレベルは他国を、もちろん中国や韓国をも圧倒していたといってもいい状態だったんだ。」

薫ちゃん「レベルが高かったんだ!」

石野先生「でもね、昭和から平成に移り変わろうとする時期になってくると、状況が変わってくる。中国や韓国が囲碁に力を入れてきた成果が出始めて、日本が世界戦でどんどん勝てなくなっていったんだ。」

薫ちゃん「そんなにすぐに勝てなくなっちゃうもんなんですか?」

石野先生「中国や韓国は、日本に比べるとそもそも囲碁への力の入れようが全然違うらしいんだ。プロ棋士に対する世間の注目度は比べ物にならないし、日本の何倍もの子供たちがプロ棋士を目指して勉強している。そんな環境だから、多少のアドバンテージはすぐになくなってしまうよね。」

薫ちゃん「日本で囲碁っていうと、どことなくマイナーなイメージですもんね。」

石野先生「僕が知る限りもっとも古くからある囲碁の世界戦の『世界囲碁選手権富士通杯』の成績を見てみるとね、1988年から1992年までは日本の棋士が5連覇しているんだけれど、1993年以降19回開催された大会では日本の棋士の優勝は1回しかない。ちなみに、その19回のうち15回は韓国の棋士が優勝しているんだ。」

薫ちゃん「そんなに極端なんですか!」

石野先生「富士通杯は残念ながら2011年で終わっちゃったけれど、そのほかの世界戦でも似たような状況だよ。」

薫ちゃん「じゃあ、韓国の人に『没落』って言われても仕方ないかもしれませんね・・・悔しいけど。」

石野先生「でもね、この記事に実は日本囲碁界の復活のヒントが隠されているんじゃないかって、僕は思っているんだよ。」

薫ちゃん「えっ、そうなんですか?」

石野先生「この記事を書いた方は、おそらく進化論に詳しいんじゃないかと思うんだ。僕なりの解釈ではあるけれど、日本の囲碁は『孔雀』になってしまっていると忠告してくれているんじゃないかな。」

薫ちゃん「はぁ?『孔雀』ですか?ずいぶん唐突ですね。」

石野先生「薫ちゃんは、なんで孔雀のオスの羽根があんなにきれいなのか、知ってるかい?」

薫ちゃん「えっ、何でって言われても・・・何でなんだろ?」

石野先生「いろいろな説があるんだけれど、すべてに共通するのは『羽根が美しいことで、メスに選ばれやすくなるから』ってことなんだ。」

薫ちゃん「メスに・・・ですか・・・」

石野先生「いいかい、薫ちゃん。鳥にとって羽根がきれいってことは、どういうことを意味すると思う?」

薫ちゃん「羽根がきれいってことは・・・元気ってことですかね。」

石野先生「いい線いってるよ。羽根はキレイってことはね、病気になっていないとか、寄生虫にかかっていないとか、さらには捕食者に襲われたりしていないとか、要するに生存競争に強いってことの証になるんだよ。」

薫ちゃん「なるほど、だからメスに選ばれやすくなるんですね。」

石野先生「正確に言えば、羽根がキレイなオスを選ぶ遺伝子を持ったメスが、生存競争に勝ち残ってきたってことになるかな。」

薫ちゃん「ちょっと、難しくなってきましたね。」

石野先生「でね、ここからが大事になるんだけれど、そうなるとね、生まれつき羽根が回りよりもキレイな孔雀は、生存競争に強くなくてもメスに選ばれて自分の遺伝子を残すことができるようになってしまう。」

薫ちゃん「あれ?なんだか、逆になっちゃっているような・・・」

石野先生「その通り!薫ちゃん、カンがいいね。で、こんなことが何十世代も何百世代も繰り返されているうちに、孔雀のオスの羽根は機能性を無視してどんどんキレイになっていったというわけ。まあ、これに関しては、諸説あるけどね。」

薫ちゃん「は~、勉強になりました。でも、それと日本の囲碁とどういう関係があるんですか?」

石野先生「囲碁って、お互いに1手ずつしか石を打てないよね。」

薫ちゃん「それくらいは、私でも知ってますよ。」

石野先生「ということは、囲碁っていうのは、極論すれば1手1手の効率を争うものだといっていいはずなんだ。つまり、相手よりも効率のいい手を打ったほうが勝つ、そういうゲームだ。だから、部分の戦いも大事だけれど、盤面全体の効率というか調和というか、そういうものも大事になってくる。」

薫ちゃん「なるほど。」

石野先生「日本ではね、江戸時代の名人である本因坊道策という人が、今から300年以上前にこのことに気付いたんだ。その結果、日本の囲碁が驚異的に発展することになった。今でも、石の効率に関する考え方は、道策の時代とほとんど変わっていないんだよ。」

薫ちゃん「道策さんって、すごい人だったんですね。」

石野先生「で、またまたここからが大事なんだけれど、効率が大事ということが分かってくると、効率の良い形と効率の悪い形も分かってくるから、効率の良い形をみんなが選ぶようになる。そうすると、効率の良い形が『美しい形』といわれるようになるわけだ。」

薫ちゃん「あれ?孔雀の羽根の話に似てきましたね。」

石野先生「そのとおり!そうこうしているうちに、最初のころは『効率の良い形が、美しい形』だったものが、いつの間にか『美しい形が、効率の良い形』になってしまって、『美しい形』が美学という名の定説になってしまった。折しも日本は封建制度の真っただ中、しかも囲碁界はバリバリの家元制度とあっては、こういった定説を覆すのは難しかったんだと思うよ。」

薫ちゃん「日本人は、早くに石の効率に気付いてしまったために、逆に美学へのこだわりができてしまったんですね。」

石野先生「まあ、僕の個人的な意見ではあるけれどね。」

薫ちゃん「じゃあ、先生のいう『日本囲碁界の復活のヒント』って、何なんですか?」

石野先生「確かに、日本の囲碁界は美学にこだわりすぎて弱くなってしまっているのかもしれない。でもね、逆に『美学にこだわってなお、日本の囲碁はそれなりに強い』ともいえるんじゃないかと思うんだ。」

薫ちゃん「確かに、美学にこだわることの善悪は抜きにして、日本だって中国や韓国に全く歯が立たないってわけじゃありませんもんね。」

石野先生「そうなんだよ。日本の囲碁界は、大リーグボール養成ギプスを装着した星飛雄馬のようなもの。『美学』というギプスを外せば、とんでもない力を発揮するかもしれないんだ。それを可能にしてくれるのが、AIだと僕は思っている。」

薫ちゃん「やっぱり、AIなんですね。」

石野先生「でも僕は、AIの真似をしようといっているんじゃないんだ。AIの出現で勝率を数値化することができるようになって、従来の『美学』の良い点・悪い点も数値化されるようになったはず。つまり、『本当に美しい形とは何か?』ってことをもう一度見直す時期に来ているんじゃないかと思うんだよ。」

薫ちゃん「つまり、新たな美学が出現するかもってことですね。」

石野先生「その通り!今のAIはものすごく強くなっているけれど、それが最善かどうかは誰にもわからない。もしかしたら、AIを超えるような囲碁理論があるのかもしれないし、それは無理だとしても、人間の理解できるもっとレベルの高い理論があるのかもしれない。それを見つけることができるのは、今まで『美学』という理論にこだわってきた日本の囲碁界なんじゃないかな。」

薫ちゃん「じゃあ、これからの日本の囲碁界に大いに期待ですね。」

石野先生「うん、そのためにも、僕たちアマチュアも一緒に日本の囲碁界を盛り上げていかないとね。」