薫ちゃんの徒然囲碁日記

囲碁に少しでも興味を持ってくれた方が、より囲碁を楽しめるような豆知識を紹介していきます。

第41話「囲碁vs将棋 仁義なき戦い」の巻

薫ちゃん「先生、YouTubeで面白い動画見つけたんですよ。これなんですけど、ちょっと見てみてください。」


https://youtu.be/27CnxfY2uag

石野先生「おっとぉ、何だこれ(笑)メチャクチャ面白いじゃない。え~と、なになに・・・すごい、この動画PowerPointで作っているんだね。パワポにこんな使い方があったなんて、知らなかったよ。」

薫ちゃん「最後はちゃんと、囲碁のほうが勝ってくれましたね。将棋ファンの人たちからすれば、不満かもしれませんけど(笑)」

石野先生「囲碁と将棋の対決といえば、薫ちゃん、この2つのゲームはどちらが格上か知ってるかい?」

薫ちゃん「えっ、囲碁と将棋の間に、格上と格下とかあるんですか?」

石野先生「もちろん、現代ではそれぞれの優劣なんて存在しないし、議論する必要もないんだけれど、江戸時代には明確な格付けがあったんだよ。でね、その格付けの話になると、またまた本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)が登場するんだ。」

薫ちゃん「算砂さん、露出多すぎ!どんだけ、囲碁界に足跡残してるんですか。」

石野先生「算砂はね、当時としてはとんでもなく囲碁が強かったんだけれど、実は同じくらい将棋も強かった。」

薫ちゃん「そうだったんですか、本当に多才な方だったんですね。」

石野先生「だからね、碁所(ごどころ)という囲碁界のトップの役職に就くと同時に、将棋所(しょうぎどころ)も兼務していたんだ。」

薫ちゃん「2つの役職を同時にこなすなんて、大変だったでしょうね。」

石野先生「そう、大変だったんだ。あまりに大変だったから、算砂は途中で将棋所の地位を、ライバルだった大橋宗桂(おおはしそうけい)に譲ってしまうんだよ。」

薫ちゃん「え~、もったいないですね。」

石野先生「きっと、碁所に専念したかったんだろうね。もしくは、宗桂という最強のライバルがいたから、将棋所は自分じゃなくても大丈夫と思ったのかもしれない。」

薫ちゃん「じゃあ、その出来事がきっかけで・・・」

石野先生「そう、算砂が碁所を選んだことから、囲碁のほうが将棋よりも格上ってことになっちゃったんだ。」

薫ちゃん「その時、算砂さんが将棋所を選んでいたら・・・」

石野先生「うん、格付けは逆になっていただろうね。」

薫ちゃん「でも、格付けなんて、それほど意味のあるものじゃなかったのでは?お互いが、直接対局するわけじゃないんだし。」

石野先生「確かに、どれほどの意味があったのかはわからないけれど、将棋指しの人たちからすれば耐え難いものだったのかもしれないよ。江戸時代には、将棋指しの人たちから『将棋が囲碁よりも格下なのはおかしいから、同格にしてほしい』っていう訴えがあったくらいだからね。」

薫ちゃん「そんなことがあったんですか。で、結果はどうなったんですか?」

石野先生「奉行所から、『つべこべ言わずに、修行しろ!』って怒られて終わったみたいだよ。江戸時代に、こういった制度を覆すのは大変だったんだろうからね。」

薫ちゃん「今では、囲碁のほうが格上なんて思っている人はいませんし、そもそもそんなことを考える人もいませんよね。」

石野先生「確かにそうだね。そうなんだけど、実はタイトルの賞金を見てみると、囲碁のほうが将棋よりもちょっとだけ高かったりするんだ。もしかしたら、江戸時代から続く格付けが、こんなところまで尾を引いているのかもしれないね。」

薫ちゃん「え~、なんだか差別みたいで、嫌だなぁ。」

石野先生「ははは、冗談冗談。多分、プロ棋士の人数が囲碁のほうがずっと多いから、それで賞金も高くなっているんだと思うよ。」

薫ちゃん「だったらいいんですけど・・・」

石野先生「そうだ、最後に算砂の辞世の句を紹介しよう。」

薫ちゃん「辞世の句が残っているんですか?」

石野先生「算砂の辞世の句はね、『碁なりせば 劫(コウ)など打ちて生くべきに 死ぬるばかりは手もなかりけり』という句なんだ。現代語にすれば、『碁だったらコウでも打って生きるのに 寿命で死ぬのは打つ手がないね』ってところかな。」

薫ちゃん「先生・・・すごいですね、ちゃんと三十一文字で現代語に訳してる。」

石野先生「ははは、褒めてくれてありがとう。僕が知る限り辞世の句が残っている碁打ちは算砂だけだから、やっぱり囲碁界だけでなく日本の歴史に名を残した人だったんだろうね。」

薫ちゃん「そのおかげで、私たちも今こうして碁が打てるのかもしれませんね。」

石野先生「かもしれないね。算砂先生に感謝!」

薫ちゃん「はい、感謝!」